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物核「·」零 - 第七十四話 全滅
天沼(あまぬま)から直線距離にして19キロ。高度二万五千フィートの上空。 大和勝義(やまとかつよし)の主観的な感覚では、あの不可解な光景を目撃してから、およそ半秒が経過していた——正確には、0.31秒。ほぼ、トンボが獲物を捕食するときの反応時間に等しい。 生物学において、0.3秒という値は、神経系と筋肉反射の臨界値であり、「意識が介入する動き」と「本能的な反射」の境界線でもある。また現代の製造業においては、効率と精度のバランスが保てる基準値であり、人間と機械が協調できる反応速度の限界でもある。強化系新人類である大和勝義であっても、強化されていない身体機能に関しては、この生命のルールからは逃れられない。 0.31秒—— 彼は、アルファの潜む狙撃地点で爆発が起きるのを見た。空へと舞い上がった大量の雪が弾丸と化して四方へ飛び散り、空中に巨大な白い花火のような模様を描き出す。 0.63秒—— MV-22Bの機内、大和勝義の真正面に、「黒い外套」が現れた。相変わらず、その中身の姿は瞳力をもってしても見通せない。ただ、外套のふくらみ方から、そいつの体つきが痩


物核「·」零 - 第七十三話 怪客
暁のころ、新二課は偵察を担当している自衛隊からの通信を受け取った。王国のナンバー3「裁定者(ジャッジ)」が、随行のおよそ二十名とともに八幡平の駐屯地を発ち、ヘリコプターで離陸したことが確認されたという。北海道到着予定時刻は、およそ二時間半後。続いて更新された情報では、彼らの向かう先も最終的に特定された。大雪山エリアの一角、「天沼(あまぬま)」と呼ばれる場所である。 その時点で、新二課が旧・大雪山国立公園一帯に潜伏してから、すでに三日が経過していた。裁定者と「第三者」が具体的にいつ接触するのかが掴めなかったため、大和勝義(やまとかつよし)は命令を受けるやいなや、全戦力を率いて前もって北海道に入り、布陣を整え、「獲物が来るのを待つ」形を取っていた。情報を得ると同時に、彼はただちに部隊の再配置に取りかかった。 狙撃班——ヴァシリーサ・ルノヴィナと霜月真白(しもつきましろ)を、それぞれ別々の高所へ展開させ、斑鳩絢(いかるがあや)には、後方の隠蔽地点に置かれた通信班と野良優(のらゆう)の護衛を命じる。 今回の作戦に特別に通信班が組み込まれたのには、大きな理


物核「·」零 - 第七十二話 三士
「上(うえ)」——つまり上層部で、いったい何が起きたのか、詳しいことを知る者はいなかった。ただ、どうやら神崎律命子(かんざきりつめこ)があらゆる伝手(つて)を総動員し、「野良優を処分せよ」という命令を押し止めたらしい、という話だけが伝わってきた。もっとも、その見返りとして提示された条件は、野良優(のらゆう)を新二課に留め、今後の任務に参加させることだった。言い換えれば、彼が「ただの人間」に戻るその瞬間まで、最後の一滴の価値まで搾り取る、ということだ。もちろん、普通の人間になったあとの野良優が、標本か実験体にされないという保証は、どこにもない。とはいえ、現時点で彼らの「約束」を信じる以外に、選択肢はなかった。 その後、新二課が再編成され、陣容を立て直していくにつれて、皆は、物事が少しずつ、しかし確実に予想外の方向へ動き始めていることに気づき始めた。 まず特別作戦部は「庁」へ格上げされ、新人類統合適性省の直轄下に置かれた。主力である三つの課をそのまま残したまま、下部組織を計十課にまで拡張。後方支援や事務部門を含めると、その人数は千人を超え、日本の自衛


物核「·」零 - 第七十一話 終局
東日本市・田之上食堂。 こぢんまりとした店内には、同時に七人が腰掛けられるだけの小さなカウンターしかないが、その席はすべて埋まっていた。霜月真白(しもつきましろ)、霊沙羅(れいさら)、アルファ嬢はもちろん、大和勝義(やまとかつよし)と斑鳩絢(いかるがあや)も顔をそろえ、そして何より——このささやかな祝宴の主役、野良優(のらゆう)がそこにいた。 ただ、一つだけ誰も予想していなかったことがある。あれほど「この件からは手を引く」と言い放った神渡夕凪(かみわたりゆうなぎ)が、しれっと店に入り込み、当たり前のような顔でカウンターに割り込んできたのだ。曰く、「辰男さんの料理を一度味見してみたくてね」。 陽菜と辰男のコンビネーションは見事なもので、二人はてきぱきと動き回り、次々と湯気の立つ料理をカウンターに並べていく。今の世の中では、物資が安定しているとはとても言えない。食材はあるときは豊富に、ないときはまるで手に入らない。そんな状況の中で、これほどの腕を持つ料理人に出会えること自体が、もはや「贅沢」と呼んでいい。目の前に並ぶご馳走に、誰もが文字どおり舌鼓を打


物核「·」零 - 第七十話 審判
座礁作戦ののち、黒星党の脅威は一挙に排除され、おまけに核弾頭を二発も"タダで"手に入れることができた。だが、その代償として、特別作戦部は致命的なまでに戦力を削られてしまった。 戦力の立て直しを急ぐため、上層部は西日本市に一人の「国宝中の国宝」を派遣する決定を下した。彼女を動かせたのは、ひとえに〈影〉たちの尽力の賜物だと言われている。そのとき彼女はちょうどアメリカの"ニュー・ホワイトハウス(新ホワイトハウス)"に招かれており、大統領みずからが、「アメリカ特別国民」にならないかと熱心に誘っていたという。しかし、彼女はその電話を受けた、その日の夜にはすでに日本へ向けて飛び立っていた。 彼女の本名を知る者はいない。誰もが、彼女のことをこう呼ぶ。 ——汐乃(しおの)婆様、と。 噂に違わず、彼女は野良優(のらゆう)にも引けを取らない力を持っていた。それは「願(がん)」と呼ばれる特質系の能力である。汐乃婆様は、あらゆる"生きた存在"を「願」に変換し、その力で第三者のあらゆる身体的損傷——精神の病をも——癒やすことができる。この能力は、どんな生命に対しても行使可


物核「·」零 - 第六十九話 願力
誰もが予想していなかった結末だった。あれほど権勢を誇った五代源蔵(ごだいげんぞう)は、最後には自分の義理の娘である霞折小町(かすおりこまち)の手によって葬られたのである。 なぜ小町があそこまで手のひらを返すような転向をしたのか、その理由をはっきり説明できる者はいない。決定的な局面で情勢を冷静に見極め、新日本政府側についた方が勝ち目があると判断したのだ、と言う者もいれば、単純に五代源蔵が核弾頭を起爆させることを恐れたのだ、という者もいる。あの距離であれば、新人類であろうと生き残るのは難しいからだ。いずれにせよ——少なくとも結果だけ見れば、小町は「正しい選択」をした。そして新日本政府も、強大な戦闘力を持つ制御系新人類を、今まさに渇望している。 とはいえ、今回の「座礁作戦」は、どう贔屓目に見ても辛勝だった。 主攻手であったヴァシリーサ・ルノヴィナは、一時は瀕死にまで追い込まれた。新一課課長・神渡夕凪(かみわたりゆうなぎ)は、落下の衝撃により重傷。統合任務部隊指揮官・大和勝義(やまとかつよし)と霜月真白(しもつきましろ)は、二度にわたる不時着を強いられ、


物核「·」零 - 第六十八話 仙戦
六十秒——せいぜい六十秒。 五代源蔵(ごだいげんぞう)が戦場の主導権を握っていたところから、戦意そのものを失うまでに要した時間は、そのたった一分にすぎなかった。いや、その途中のどこかで、彼はそもそも自分が「何」と戦っているのか分からなくなっていた。だが、これだけは理解している。この地獄じみた光景の元凶が、かつて自分が足下に踏みつけ、好き放題に嬲っていたあの少年——野良優(のらゆう)であることだけは。 最初、源蔵はそれを自分の錯覚だと思った。突如として出現した金色の巨人が、狂暴で常軌を逸した「平手打ち」を振るう。一撃ごとに、その掌の面積は一棟のビルほどもある。空を唸らせながら振り下ろされる長大な杖は、源蔵がこれまで目にしたどんな老樹よりも高く、太くそびえ立っていた。極めつけは、巨人の背後でとぐろを巻く、九条の邪悪な蛇——まさに獰猛な邪神そのものの眼で、こちらを狙いすましている。 かつて大谷派門首の指名継承者とまで謳われた五代源蔵にとって、それが何であるかを理解するのは難しくない。だが——たとえ二十年前の自分に戻ったとしても、今日この目で見せつけられ
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