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物核「·」零 - 第五十三話 骸者
物核「半球」の言葉は、ひどく晦渋で分かりづらかった。野良優(のらゆう)には、その内容をまともに理解することなど到底できない。だが、月無双には分かった。彼女はただ理解しただけではない。ほぼすべてを把握したうえで「通訳役」まで買って出て、野良優にも分かるよう、そこに至るまでのとんでもない経緯を、かいつまんで語って聞かせた。 話の始まりは、二年前。 国連月面国際協調基地——UNLIC Base(United Nations Lunar International Cooperative Base)から発信された、あるニュースだった。そのニュースは世界中の大手メディアで一面を飾り、当時なら誰もが一度は目にしているはずのものだ。 「太陽系の端、太陽圏界面(ヘリオポーズ)を越えた彼方に、正体不明の天体が観測された」 報道内容は、おおむねそこまでだった。それ以上の「続報」は、少なくとも公式には一切出てこなかった。むしろその後は、野良優ですら覚えているくらいだ。この話題に触れただけで、あらゆる地下雑誌や同人誌が飛ぶように売れ、陰謀論めいた話やSFじみた噂ばかりが


物核「·」零 - 第五十二話 躯殻
野良優(のらゆう)は、白い雲の上に端座していた。 それは、言葉にしがたい感覚だった。肉体も精神も、どこか漂っているような、完全な「浮遊」の状態にありながら、同時に全身がのびのびと解き放たれているような、奇妙な自由さがあった。彼の視界の先には、四方を埋め尽くす真っ白な雲の海が広がっている。だが、その外側にあるのは青空ではない。そこにあるのは、見渡すかぎり果ての見えない、濃密な星々の宇宙だった。 自分がなぜここにいるのか、野良優には分からなかった。ただひとつだけはっきりしているのは——最後に自分が「どういう感情」でいたか、ということだ。 そう。あのときの彼は、ひどく怒っていた。ただ腹を立てていた、というレベルではない。極限まで、どうしようもないほどの激しい怒りに呑まれていた。 十九年の人生を振り返ってみても、「怒り」は野良優という人間の主旋律ではなかった。彼は、日本のごく普通の学生とほとんど同じように、授業に出て、放課後は部活に顔を出し、密かに想いを寄せる相手に胸を焦がし……そんな日々を過ごしてきた。せいぜい変わっていたと言えるのは、周囲から理解され


物核「·」零 - 第五十一話 伝説
Ava Moon(エイヴァ・ムーン)——東土国・火種部隊「越城」麾下、三陰支隊(さんいんしたい)所属。二十代そこそこの若さにして、極限まで洗練された美貌と、見ているだけで罪悪感を覚えるような肢体を持ち、さらに自分に「月無双(ユエウーシュアン)」という、やけに耳ざわりのいい東土名まで付けている。 もっとも、アメリカ人が東土国の秘密部隊に所属しているという時点で十分に異常ではあるのだが、大災変以前からアメリカ政府上層部、ひいては「マーロー党(Marlow Party)」全体が東土国に食い荒らされ尽くしていた状況を思えば、月無双のような存在がいても別段不思議ではないのかもしれない。 大和勝義(やまとかつよし)の見方は、さらに具体的だ。彼は月無双が、極めて特殊な能力を持っているに違いないと考えていた。たとえば新一課課長——戦闘において敵味方を問わず恐怖させる存在、神渡夕凪(かみわたりゆうなぎ)のように。疑いようもなく神渡夕凪は「ただの人類」である。それでも彼女は、新人類と互角に渡り合えるほど強大な異能を有しているのだ。 ならば、月無双という名のアメリカ国


物核「·」零 - 第五十話 夢使
報告書を閉じた大和勝義(やまとかつよし)は、こめかみを押さえてため息をついた。 野良優(のらゆう)の不可解な「失踪」から、すでに丸十日。あの日を起点として、「真白と沙羅の暴動」から「特別作戦部長の爆散」、さらには「災後防衛省の崩壊」まで、野良優という男は、まさに一大騒動の震源地となった。 この情報を日本側だけが握っているのであれば、まだ話は単純だったかもしれない。最悪、「国宝級の新人類」を一人失うという形で手打ちにできた可能性すらある。人命など、高官たちの官帽に比べれば、最も安い代償に過ぎないのだから。 だが問題は、そこへアメリカが横槍を入れてきたことだ。それも、半ば強引な形で。 発端は、物核「半球」の重量が約十トンであるという情報だった。新日本政府が保有する戦力では、その重量物を吊り上げ空輸できる航空機は一機も存在しない。そこで特別作戦部は、編隊での重量物輸送を得意とするCH-53Kをアメリカから借り受け、さらに事前に「自適応型ULD(航空コンテナ)」まで特注で用意した。 しかし、「半球」は吊り上げの最中に自ら重量(=密度)を変化させはじめ、そ


物核「·」零 - 第四十九話 再見
斑鳩絢がわずかに眉をひそめた。 「野良君、知り合い?」 優が答えるより早く、真白が飛び出していた。 「直子さん!!!」 武田直子(たけだなおこ)——かつて「女の国」回収隊の隊長だった女だ。第三エリアでの潜水艦回収作業の最中に黒星党の急襲に遭い、異変種を引きつける囮役を買って出たせいで本隊とはぐれた。どうにか異変種は振り切ったものの、方角を見失い、数日にわたって彷徨った末に、西海国へ帰還中だった商隊に拾われたのだ。それがきっかけで奴隷として西海国に売り飛ばされ、やがては守備兵の一人にまで組み込まれていった。 正直なところ、「守備兵」と一口に言ってもいろいろだ。銃を持たせてもらえる者は少数派で、大半は塹壕掘りや弾薬運びといった肉体労働要員——ひどい者になると、前線部隊の排泄物の処理までさせられる。 こんな成れの果てを辿った彼女と、こんな形で再会することになるなど、誰が想像できただろう。 武田直子は、野良優(のらゆう)と霜月真白(しもつきましろ)の声を耳にした瞬間、それまでどうにか体を支えていた最後の力を使い果たしたらしく、口と鼻からどっと血をあふれさ


物核「·」零 - 第四十八話 主宰
そう言ったのは、髪の半分を赤、残り半分を青に染めた、妖艶な肢体をした人物だった。 「"絶対再生"斑鳩絢(いかるがあや)!!!」 その全身は生々しい血に染まり、肩には、まだ血の滴る大腿骨が一本、当然のように担ぎ上げられている。だが、そんな凄惨きわまる光景の中で、当の本人はといえば——ふわりと腕を伸ばし、優雅な仕草で自分の爪をまじまじと眺めていた。 「やだ、また傷がついちゃってる。これじゃ全部やり直しじゃない。ほんと、困ったものねぇ」 ぽかんと固まった二人は、思わず同時に叫んだ。 「絢さん!? なんで……?」 「言ったでしょ、あたし強化系だって。死なないだけじゃなくて、身体機能もね、あなたのおかげでぐーんと底上げされてるの。風間昭三っていう怪物には、さすがに敵わないけど」 「じゃあ、どうやって俺たちを見つけたんですか?」 「勝義お兄様から、"まずはあなたたちの安全を最優先で確保しろ"って、特別に言いつけられてるのよ。今回支給された電子コンパスには、一定範囲をまるごとサーチできるロケーション機能が付いててね……ああ、そういえばあなたたち二人、戦況ブリー


物核「·」零 - 第四十七話 屠戮
電子コンパスの示す方角によれば、野良優(のらゆう)と真白が降り立った地点は、猪鹿狼寺本堂跡からおよそ2キロ。ふつうに歩けば一時間ほどの距離だ。だが、西海国はどうやらすでに手を打っていたらしい。野良優と真白は数百メートルも進まないうちに、敵の迎撃部隊と鉢合わせしてしまった。 ここが森の中であるのは、まだ運が良かったと言うべきだろう。もし見晴らしのいい開けた地形だったなら、二人はとっくに蜂の巣にされていたに違いない。敵は二方向から二人の身を隠している場所を十字にロックしており、銃声の数からして少なくとも四人が銃を持っている。それとは別に、弓を構えている者が数十人はいるようだった。 弓? そう、大災変のあと、普通の人間が最初に手にした遠距離武器が弓だった。それは、作り方を知らなくても構わない。弓道はもともと日本で広く親しまれているスポーツだし、各地には弓具店もある。なかでもコンパウンドボウの中には、数百キロの獲物を仕留められるほどの威力を持つものさえある。 もちろん、この時代ですでに「銃を持つ者」と「弓を持つ者」の差は決定的だ。ふつう、銃火器を支給され
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