top of page
All Chapters


物核「·」零 - 第三十九話 秩序
大災変の前も後も、日本政府という仕組みが止まったことは一度もない。仮に、ほんの一瞬だけ停止した瞬間があったのだとしたら、それは高さ2000メートルにも達する"破滅級"の巨大津波が襲いかかろうとしていた、あの刹那だけだったのだろう。その後、日本本土は甚大な被害と死傷を被った。だが、実際に日本政府を操っている「影(シャドウ)」たちは、その大災変をきっかけに、初めて本格的に舞台へと歩み出したのである。 誰も知らない。「影」が具体的にどんな人間たちで構成されているのかを。そして誰も、あの津波が迫ったとき、彼ら"お偉方"がどこに身を隠してその地獄を生き延びたのかなんて、本気で気にしてはいなかった。 ただひとつだけ、巷で広く囁かれている噂がある。曰く、前首相・影原慎太郎は、ついぞ本当の意味で表舞台を去ってはいなかったのだ、と。真相はこうだ。あの世界を震撼させた大事件のあと、彼は熟慮の末、自らを「隠して影へと姿を変える」決断を下したのである。それは、大災変後の日本を「影」の立場から守り続けるためだった。 だからこそ、こうした噂が広まるにつれ、人々は考えずにはい


物核「·」零 - 第三十八話 成人
下卷《恐懼之骸》 楔子 「道におゐては死をいとはず思ふ」 ——宮本武藏(1584.??.??–1645.06.13) 第卅八話 成人 果てのない混沌の中で、野良優(のらゆう)の意識がゆっくりと寄り集まり、もう一度「自分」という形を取っていく。 目に映るのは、すべてが妙な白だった。伸ばしたはずの手さえも、真っ白で輪郭があやふやだ。上下左右の区別もつかない。そもそも自分に、まだ「体」というものがあるのかどうかさえ分からない。 野良優は、得体の知れない空間をただ漂っていた。やがて、遠くから波のざわめきが聞こえはじめ、視界の奥に、ゆっくりと色彩が戻り始める。 それは奇妙な「影」だった。水面に浮かぶ人影が、海の底へと落とすシルエットのようで—— ——あれ? どこかで、前にもこの光景を見たことがある……? そこで、はっと思い出す。熊野沖の海。 霞折小町(かすおりこまち)——! 「やばい!」 考えるより先に、少年の体は動いていた。影めがけて、海へ飛び込むように真っ逆さまに突っ込んでいく。 小町、怖がるな! 俺が助けるから! 小さな冷たい手に触れた—


物核「·」零 - 第三十七話 旧識
「おい、小僧。本当に核弾頭の在処を知らねぇのか?」 怒鳴りつける声に、野良優(のらゆう)は思わず首をすくめた。 「知らないって言ってるでしょ! 俺が知ってるわけないじゃないですか!」 五代源蔵(ごだいげんぞう)は、苛立ちを隠そうともせず舌打ちをする。 「じゃあ聞き方を変える。女の国の主要施設だ。あそこは何をしてる場所だ?」 指差された先には、重装備で固められた巨大な建造群があった。 「……回収班が集めた物資を、仕分けして保管してる倉庫です」 「ほう。じゃあ、あっちは?」 さらに奥、異様なほど厳重な防衛網に囲まれた区画。 「……男町です」 一瞬、空気が凍る。 「……は?」 「最重要の男性が暮らしている、居住区画です」 五代は低く笑った。 「冗談も大概にしろ。何十もの火力拠点で守られてる場所が、ただの"男の住処"なわけねぇだろ。言え。本当は、何がある?」 「事実です! ただ……最下層は管理層の執務区画になってて……今ごろ、指揮に散ってるはずです」 沈黙。そして五代は、獲物を見つけた肉食獣のように笑った。 「……なら、尚更だな」 野良優には理解できなか


物核「·」零 - 第三十六話 宿敵
攻撃計画は、二日間延期された。 女の国が核兵器を保有している。その情報は、五代源蔵(ごだいげんぞう)に作戦の全面的な見直しを決断させるに足る重さを持っていた。決行時刻は夜間に変更される。夜の移動は異変種を呼び寄せる危険を伴う。だが、自衛隊の巡回機に捕捉されるよりは、はるかにましだった。対処不能なミサイルより、人食いの怪物のほうが、まだ殺しようがある。 黒星党の戦力は、すでに三隊に分割できる規模にまで膨れ上がっていた。最前線に配置されたのは、霞折小町(かすおりこまち)を中心とした狙撃部隊「小町組」。次いで五代源蔵率いる攻撃部隊が突入し、最後に霊沙羅(れいさら)が接応部隊を率いて物資と奴隷を回収する——その三段構成だ。 野良優(のらゆう)の増幅は最初に小町の能力を最大化し、その後すみやかに攻撃部隊の五代源蔵へと移る。増幅の持続時間は、精密な検証の結果、凡そ2時間38分と算出されていた。 午前3時。黒星党のすべての人馬が、予定地点に入った。 九歳の少女の身体は、年齢に似つかわしくないほど成長している。体重は40キロを超え、野良優の増幅が加われば、100


物核「·」零 - 第三十五話 叛徒
【4月19日 山国を急襲。生存者73名を確保。うち1名に転化適性あり。】 【4月27日 乳岩峡集落を襲撃。生存者11名を確保。転化者なし。】 【5月8日 刈谷東境町の避難所を殲滅。生存者30名を確保。転化者なし。】 【5月13日 不明勢力の大規模移動隊を襲撃。生存者140名を確保。うち3名に転化適性あり。】 【5月14日 西海国(さいかいこく)・重武装商隊を急襲。生存者19名を確保。転化者なし。】 【5月15日 幹部総出で若狭熊川宿(西海国)を攻撃。生存者244名を確保。9名に転化適性あり。】 【5月23日 再度、若狭熊川宿を攻撃。生存者290名を確保。11名に転化適性あり。】 【6月3日 山国へ再出撃。生存者311名を確保。10名に転化適性あり。】 【6月8日 女の国・商隊を襲撃。生存者146名を確保。8名に転化適性あり。】 【6月11日 女の国・採集隊を襲撃。生存者203名を確保。17名に転化適性あり。】 【6月16日 不明勢力・重武装商隊を襲撃。激しい抵抗を受け、生存者22名のみ確保。転化者なし。】 【6月19日 女の国へ向かう途上、自衛隊


物核「·」零 - 第三十四話 劫掠
五代源蔵(ごだいげんぞう)が王国と衝突した理由は、決して「霊沙羅(れいさら)の争奪」だけではない。もちろん彼女は、たしかに導火線のひとつだった。だが根はもっと深い。五代源蔵という存在そのものが、王国にとって"放置できない異物"だったのだ。 大災変の津波に巻き込まれた彼の肉体は、ほとんど原形を留めていなかった。瀕死のまま海に呑まれ、偶然「弓」の射程に入った。そこで彼は、"日本で二番目の強化系新人類"として蘇った。だが代償は途方もなく大きかった。 骨格は歪み、内臓は焼けたように軋み、皮膚は外気に触れただけで裂けそうだった。呼吸をすれば、痛みが肺の裏側から胸骨へ突き上がる。立つだけで、体が崩れる。歩けば、崩れていく。 ——この身体のままじゃ……長く持たない。 五代源蔵は理解していた。人の姿を保ち、戦い、生き延びるには相性の合う"鎧"が要る。宿主の肉体を、自分の身体の外殻として使うしかない。 彼は探し続けた。路上の死体。瓦礫の下の生存者。逃げ遅れた老人。逃亡中の男。触れて確かめる。入ってみる。合わなければ捨てる。合っても、長くは持たない。最終的にたどり着


物核「·」零 - 第三十三話 不朽
柔らかい声が、暗闇の奥でほどけていく。 「優くん、私ね、真白ちゃんの居場所ならちゃんと知ってるのよ。でも、今の優くんの力じゃ、助けに行ってもきっとどうにもならない……」 一度、ことさら含みを持たせるように区切ってから、彼女は小さく笑った。 「だからね……もし優くんが望むなら、真白ちゃんの"代わり"くらいには、私だってなれるわよ。ただ……ううん、やっぱり『ただ』なんてないわね。この世界で、あと一日長く生きられるだけで、それはもう丸儲けなんだもの。だったら、その一日を、できる限り楽しく過ごさなきゃ損じゃない? ねえ、優くん」 闇の中、温度だけがじわじわと近づいてくる。 「さあ……優くん。私と一緒に気持ちよくなろう。ずっと……ずっと、終わらないでいてくれればいいのにね……」 真っ暗闇の中で、得体の知れない感触が、全身の神経を一気に打ち抜いた。魂そのものが炸裂するような衝撃。その瞬間、野良優(のらゆう)は、夢の水面から一気に引きずり上げられるみたいに、かろうじて意識を取り戻した。 直後に押し寄せてきたのは、鋭い頭痛と、世界がぐらぐら揺れるようなめまいだ。
bottom of page
