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物核「·」零 - 第二十七話 遠征
それは、野良優(のらゆう)にとって初めての「部隊を率いる任務」だった。名目上、彼は黒星党の"幹部"だ。だがそんな肩書きが、ただの飾りにすぎないことも分かっている。この小隊の中には、少なくとも二人、五代源蔵の監視役が紛れ込んでいる。逃げ出す素振りでも見せれば、その場で躊躇なく撃ち殺される。優は、それをよく理解していた。 もっとも、彼に逃げるつもりはなかった。真白の行方は、まだ掴めていない。沙羅を置き去りにして、自分だけ生き延びる。そんな選択は、どうしても飲み込めなかった。それに季節は二月。この恵那山周辺では、昼間ですら気温は氷点下だ。尾根に吹きつける風は、体感でマイナス二十度を下回る。こんな場所を一人で逃亡するのは、自殺と同じだった。 複雑な思いを胸に、優は小隊を率いて進んでいく。目的地は、かつて"女の国"が拠点としていた元・三号区域だ。 三号区域の近くには、いまもなお三体ほどの変異種が徘徊している。そのせいで、女の国の生存者たちは長いあいだ、ここへ近寄らなくなった。かつては食料と物資に恵まれた"いい場所"だった。だが、一度黒星党に見つかってしまえ


物核「·」零 - 第二十六話 迴旋
東京都上空、30キロメートル。成層圏のただ中に、全長およそ30メートル、幅2メートルほどの、異様な物体が静止していた。本土に侵入した、最初の物核——その名は「槍」。名のとおり、形状は紡錘。両端は細く、中央はふくらみ、銀白色の表面は、まるで地球の重力を拒むかのように、そこに留まり続けている。昼間、肉眼で捉えることはできない。ちょうど月明かりが澄み、星の瞬きが際立つ夜にだけ、その輪郭は一瞬、空に浮かび上がる。 逃亡の途上にある二人は、いま、その「槍」を仰ぎ見ていた。同じ光景を前にしても、視線に込められた意味はまったく異なる。野良優(のらゆう)の畏怖など、どうでもよかった。重要なのは、霊沙羅(れいさら)がほんのわずかに甘えるような仕草を見せると、優がすぐに折れ、「……綺麗だね」と言わされてしまうことだった。 今夜の沙羅は、なぜか機嫌がいい。理由はない。珍しく、彼女は自らの過去を口にした。 「私ね、昔は……ホステスだったの」 優はすぐに察した。それは、自分自身を貶め、他者が抱く理想像を壊すための告白だ。黒星党の智謀担当。だが街の裏側では、五代源蔵の雌犬と


物核「·」零 - 第二十五話 衝命
夜だった。正確な時刻は、霊沙羅(れいさら)にはもう分からない。意識は朦朧と霞がかかり、耳には絶え間なく轟々とうなる銃声、怒号、悲鳴が重なって届いていた。その合間に、ときおり地面を揺るがすような重い爆発音が響く。 テントの外が赤く照らされるたび、地平線の向こうに、巨大な煙の塊が浮かび上がった。 ——え? あれは、何? 沙羅は自分の頬を軽く打ち、無理やり意識を引き戻す。全身がじくじくと痛み、手足は氷のように冷え切っていた。血の匂いが鼻を刺す。舞い散る火花の向こうで、テント越しにも分かるほど大きく、異様な影がうごめいている。 ——異変種!? 心臓が跳ね上がる。沙羅は息を詰め、もう一度テントの中を見回した。狭い空間にいるのは、自分ひとりだけだ。 外からは、なおも狂ったような叫び声と銃声が渦を巻いて押し寄せてくる。 「クソッ!! こいつら、まるで死なねぇ!!」 「逃げろ! お前までやられるぞ!!」 「なんでこんな数がいるんだよ!? くそ、あっちにもいる!」 「車は!? 車はどこだ!?」 「兄貴、車は……全部やられました!!」 長野隻狼の野営地。固定の自救区


物核「·」零 - 第二十四話 驚擾
霊沙羅の背中から、きっちり三歩。その位置に立っているだけで、十八年分しか人生経験のない野良優にも、相手が最初から「商談」をしに来たわけではないことくらいは分かった。 「今日の相場だ。男女も、年齢も関係ねぇ。一人につき燃料1リットル、水10リットル。同じくらいの量の食い物か、好きな薬を100グラム。そいつらと交換だ」 声はやけに事務的で、一人ひとりをただの「単位」としてしか見ていないのがよく分かる。 「それとよ——もし持ち物が足りねぇなら、武器か弾でもいい。レートは統一だ。一人につき"銃一丁"か、"弾60発"。それで勘定してやる」 「それでも足りねぇってんなら——ヘヘ。この車、何台か"勉強して"引き取ってやるよ。一台につき……十人分、ってとこでどうだ?」 「最後に一つ。俺は、あんまり待たされるのが嫌いでな。だから情けをかけて、特別に十秒やる。その間に決めろ。……十、九……」 最悪だ。 野良優の頭の中には、その言葉しか浮かばなかった。一方で、霊沙羅は相手の視線を意識的か無意識的か判然としない仕草で遮り続け、刺青の男から野良優の顔が正面から見えないよう


物核「·」零 - 第二十三話 裏食
「野良君! 仕事だよ、出発の準備を……あれ?」 扉を開けた霊沙羅(れいさら)は、そこで動きを止めた。 部屋の隅。野良優(のらゆう)は、ギターを胸に抱きしめるようにしてうずくまり、声にならない嗚咽を繰り返していた。涙はとめどなくこぼれ落ち、ただ息が詰まって、言葉にならない音だけが漏れている。まさに「泣きじゃくる」という表現そのものだった。 「……あーあ。どうやら、タイミングが悪かったみたいね」 霊沙羅は小さくため息をつき、そっと扉を閉める。それから音を立てないように近づき、野良優のすぐ隣に、身体を寄せるようにして腰を下ろした。 「泣きなさい、野良君……泣けて、笑える。それが、生きているっていう証拠なんだから」 「……こんなふうに生きてて、何の意味があるんですか!」 野良優は顔を上げた。目は真っ赤に腫れ、涙で濡れている。 「こんな世界で、人を選んで、触って、"使えるかどうか"を判断して……そんなふうに生きていくなんて、意味がない!」 「いいえ、違うわ。生きているからこそ、意味があるの」 「……沙羅さんには、かなわないな。僕じゃ、言い負かせない」...


物核「·」零 - 第二十二話 貓男
黒星党幹部、野良優。新人類の一員であるこの十八歳の少年が持つ能力は、あまりに特殊で、そして常識外れなまでに不可解だった。 噂によれば——彼の身体に触れさえすれば、新人類の能力は強化され、相手が「普通の人間」であっても、物核による転化の成功率がぐんと引き上げられると言われている。こんな能力は、常識の枠では扱えない。人類がこれまで整理してきたどの能力系譜にも、きれいに分類することができないのだ。 霊沙羅の掌握している情報によれば、大災変を生き延びた世界中の生存者たちは、新人類の能力を大きく四つの系統に分けているという。 第一類、そして最も強大な系統は強化系。この系統の能力者には共通点があり、肉体・精神、あるいは知能が「一段階上の次元」に飛躍的に引き上げられているという点だ。たとえば「王国」を創り上げた風間昭三(かざましょうぞう)は、典型的な強化系の新人類だと言われている。彼の全身は金剛不壊どんな攻撃も通用せず、さらには、もはや呼吸によって酸素を取り込む必要すらないらしい。科学の観点から見れば、彼の体内でミトコンドリアがどうやって代謝を行い、酸素なしで


物核「·」零 - 第二十一話 幹部
一日のうちに味わった浮き沈みが、あまりにも激しすぎた。野良優(のらゆう)の心は、どこか呆然としていた。 とくに、自分にとって特別な存在だった愛ちゃんとの「生き別れ」を、またしても繰り返すことになったという事実が、現実感を失ったまま、胸の奥で冷たく固まっていた。 だからそのあと、霊沙羅と「長野隻狼」を名乗る連中が何やら激しい口論を始めても、野良優はろくに耳を傾けなかった。ただひとつだけ理解していたのは、本来ならこの場の奴隷全員を買い取るはずだった五代源蔵が、実際に代金を支払ったのはあの「七人」だけだということだった。 よく考えれば、とても奇妙な話だ。人を「売る」側であるはずの人身売買組織・黒星党が、わざわざ別の組織から「商品」を仕入れているのだから。もっとも、理由はすぐに分かる。これらの「商品」は、五代源蔵が構想する「強大な新人類軍団」を作るための素材なのだ。 夕陽が沈みきる前に、黒星党の車列はふたたび三号区域へと向かった。変異種がうようよと占拠する、あの禁断のエリアへ。 「今回は、あなたの力を借りる必要はないわ。何度もテストして分かったけれど、一
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