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物核「·」零 - 第二十話 劫難
ドアが開いた。逆光の中から、すらりと背の高い妖艶な女が歩み出る。霊沙羅だ。 「野良君、よくやったわ。あの一発の"魚雷"、きっと大きな場面で役に立つはずよ」 野良優は、真っ赤に染まった砂糖愛の面影を振り払うように、搾り出す声で言った。 「……五代源蔵に会わせろ」 「今はその時じゃないわ。私たちは、これから次の地点へ向かわないといけない」 「俺はどうしても会わなきゃならない! あいつに訊くことがある。どうして撃ったのか……なんであの子を撃ったのか、はっきり聞く!」 「ダメ。まだ——」 そのとき、開いたままのドアの向こう、車内からしゃがれた声が響いた。 「……まあいい。乗せろ。俺も、そいつの顔を一度見てみたい」 霊沙羅が、聞こえるか聞こえないかほどの小さなため息をつき、低く囁く。 「野良君、くれぐれも馬鹿な真似だけはしないでね」 野良優は、一言も発さずに後部座席へ身を滑り込ませた。次の瞬間、座席の影に、冷たい光がひらりと走る。あのとき泥の中で拾い上げた匕首だ。彼はそれを抜き放ち、五代源蔵めがけて突き出した——。 だがその刹那、いや、正確には零点何秒とい


物核「·」零 - 第十九話 赴死
「沙羅さん! あのガキ、アーチの下に入りました! こっちの射角、完全に潰れてます。姿が見えません!」 「二番は?」 「こちらも樹の形態のやつに遮られてます。身体の一部しか抜けません。……あいつ、ずっと立ったまま動きません。何してんのか、分かりません」 「命令があるまで撃つな。勝手に弾を使うな」 「了解!」 霊沙羅(れいさら)は通話器をぷつりと切り、視線だけを前へ流した。豪奢なセダンの後部座席。真正面に座る男が、鼻先で笑った。 「ハッ。逃げ道でも必死に考えてんだろ」 煙に燻したみたいな、ざらついた声。五代源蔵(ごだいげんぞう)——黒星党の「御大」が、だらしなく足を組んでいる。霊沙羅は笑わない。黙って、次の言葉を選ぶ。 「五代様。あの子に"逃げる度胸"はありません。力の使い方も、まだ分かっていない」 「へえ? じゃあ何だ。あそこで棒立ちってのは」 「……正直、私にも断定できません。ただ——」 霊沙羅が言い終える前に、男が舌を鳴らした。 「断定できねえ? "風間の左手"が?」 その呼び名が、車内の空気を一段冷やす。霊沙羅の眉が、ほんのわずかに動いた。


物核「·」零 - 第十八話 蟲形
異変種に占領された目的地へ、普通の人間が近づくはずもない。正常な判断力があれば、そもそも感知範囲にすら入らない。自衛隊でさえ手を焼いた存在を前に、末日の人間に打てる手などない。 新人類であることを受け入れた野良優でも、異変種を目にすれば体はすくむ。この任務は、自殺行為と何が違うのか——そう思いながら通話器を見下ろすと、向こうからは何も言ってこない。狙撃手の威嚇射撃も止まっていた。黒星党の全員が、異変種の存在を把握している。銃声で誘引されれば、矛先が野良優に向く。 仕方ない。野良優は覚悟を決め、頭を低くして斜面を下り始めた。 泥の中で何かが光を返す。二メートル先——匕首だ。武器になる。彼は迷わず掴み、しっかり握った。 低い灌木に隠れながら、泥と死体を盾にして這い進む。砂が擦れる音のたびに心臓が跳ね上がるが、屋外の自然音がある程度かき消してくれた。百メートルほど進んだところで、汗がにじむ。開けた地帯に出た。あと五十メートル先に次の土坡がある。 そのとき——三百メートルほど先に直立している灰の毛布が、「顔」をこちらへ向けた。間違いなく、見えている。野良


物核「·」零 - 第十七話 缺陥
牢の中に転がっている三つの死体が、まだ本格的に死臭を撒き散らし始める前に、気温がぐんと下がった。建物そのものがあまりにも老朽化しており、四方八方の隙間から風が吹き込んでくる。追い打ちをかけるように、野良優(のらゆう)と真白の服はとうの昔にずたずたに裂けていた。二人は骨の芯まで冷え切り、震えるしかない。残された手段はひとつだけ——転がっている死体たちの服を剥ぎ取って着ることだった。 ついさっき、鼻が曲がりそうな臭いの衣服をなんとか身にまとい終えたところで、真白は野良優の胸元に小さく潜り込み、体温に包まれかけていた。ところが、暖かさが戻るより先に、鉄扉の向こうから奇妙な「ごろごろ」という地鳴りが伝わってきた。 扉の外で鎖がじゃらじゃらと鳴る。サーチライトのまぶしい光と、突き刺すような寒風、それに濃い霧が一気になだれ込んできた。 「沙羅。お前たちが先に中を確認しろ」 「はい、五代先生」 車のヘッドライトが作る光の柱の中を、妖艶なシルエットが牢の入口へ近づいてくる。その後ろには数十人の手下がぴったり続き、全員が銃を一丁ずつ構え、牢の唯一の出口をがっちり押


物核「·」零 - 第十六話 生存
大きな揺れの波を何度もくぐり抜けた野良優は、妖艶な女——霊沙羅が淡々と語る言葉を聞きながら、この終末の世界と、彼女という人間を少しずつ理解し始めていた。 未知の存在——物核(ぶっかく)。それが大災変を引き起こした。どんな人間であれ、その支配領域に近づけば変質を強いられる。生きて戻れる者はほとんどいない。運よく「生き残ってしまった」ごく一部だけが、いつしか「新人類」と呼ばれるようになった。 新人類である霊沙羅の能力は、補助系に分類される。彼女は体液のやり取りや接触を通じて、相手の身体に潜む「情報素」のようなものを読み取り、その人間が新人類として目覚める資質を持っているかどうかを判定できる。 補助系能力の最大の特徴は、「自分ひとりでは成立せず、必ず第三者を介して初めて能力として立ち上がる」という点だ。 一見すると、野良優の能力もそれによく似ている。彼の能力も第三者を介して発現するタイプだ。少なくとも、そう見えていた。だが、決定的に違うところがある。 幸運だったのは、最初に接触した相手が霊沙羅だったという一点だ。あの妖艶な女と接触したことで、野良優の能


物核「·」零 - 第十五話 吾王
霊沙羅(れいさら)と同じ位置に並んでいた三人の手下たちは、最初のうちは「青山ボスがまたキレてるぜ」くらいの気分で、半分は野次馬根性で様子を眺めていた。 ところが——何の前触れもなく、青山重雄の巨体が、音ひとつ立てずにぐらりと崩れ落ちた。 「ひっ……!」 手下たちはようやく異常事態に気づき、慌てて振り返る。さっきまで青山のすぐ後ろにいたはずの霊沙羅は、いつの間にか三歩ほど後退し、大鉄扉のすぐ外側に立っていた。いつ動いた? 誰も、その瞬間を見ていない。 「や、やべえ! 青山ボスが!」 「に、逃げろ!! こいつは絶対あのガキの仕業だ!! 銃だ、銃持ってこい!」 魂が抜けたような悲鳴を上げながら、三人は半ば転がるように工場の外へ飛び出していく。 そんな中で、霊沙羅だけが妙に落ち着いていた。 「銃は構わないけど弾を間違えないで。通常弾で殺したら、あんたらも生きて帰れない」 「な、何言ってやがる! どう見たってあのガキだろうが! 先にぶっ倒さねえと、こっちの命が」 「口答えするな」 霊沙羅は目を細める。 「"聞かなかったから死んだ"ってことになりたいの?」.


物核「·」零 - 第十四話 增幅
霜月真白が目を覚ましたのは、野良優より二日ほど早い。薬のせいで意識は霞み、自分がどこにいるのか、どれくらい時間が経ったのかも曖昧だった。ほどなく「検査」が行われた。 何をされたのかは覚えていない。だが、あの女——霊沙羅が真白をじっと観察し、顔を曇らせていったことだけは記憶に残っている。霊沙羅は青山に耳打ちした。その直後、中年の男青山の顔が歪んだ。怒りに支配されたまま、看守役の阿新と野哥を怒鳴りつけ、拳で叩きのめした。 真白は呆然としながら、ひとつだけ理解した。自分は「特質系」と判定された。だが、沙羅の顔色からして、それは祝福ではない。 霊沙羅は去り際、真白にだけ聞こえる声で言った。 「あなたには能力がある。でも今のままじゃ"ゴミ"と変わらない。源蔵老大はゴミを置かない。……女は常に売買の対象。あんたも売られる」 真白は「特質系」が何を意味するか分からない。だが、その言葉が死刑宣告のように響いたことだけは分かった。 霊沙羅がその場で真白にできたことは、一つだけだった。 「どうなってもいい。でも生き延びなさい」 「はい」とも「いやだ」とも言えなかった
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