恐怖の本質:バックルームズと現実
- VON(壹叔瘋神)

- 4 時間前
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映画『バックルームズ(Backrooms)』を観終えたばかりで、西洋的恐怖と東洋的恐怖の違いについて少し語りたくなった。
まず認めなければならないのは、『バックルームズ』という概念が極めて優れているという点だ。
一枚の写真から始まり、SNSでの拡散を経て、最終的にK版(ケイン・パーソンズ/Kane Parsons)映画として結実した——これは非常に典型的で、そして励ましを与える成功物語である。
バックルームズの恐怖の核心は二文字で表せる。
「未知」。
この種の恐怖は非常に高度だ。クトゥルフ的概念と同様、私にとっては、変質的殺人鬼や吸血鬼、ゾンビ映画などよりはるかに高次の恐怖である。
その発想は、V宇宙における「無限アンカー点」にも近い【詳しくは『煉虚編年史・魔神紀』(The Annals of Void‑Refining: The Demon God Chronicle)参照】。
では、東洋的恐怖とは何か。
ここで一つ、実際に起きた話をしたい——。
ミレニアムが近づく頃、ある強大な国家の首都で、こうした出来事があった。
一人の女性が六歳の娘を連れて列車に乗った。しかし彼女が購入したのは一枚の切符だけだった(そう、節約のため——あるいは単なる無賃乗車)。
そしてそれは駅員に見つかった。
奇妙なことに、駅員は女性に追加料金を支払わせるため、娘を「預かり」、女性に「家へ戻って金を取って来い」と命じた。
結果はどうなったか?
結果など、存在しなかった。
女性が駅に戻ったとき、娘はもうどこにもいなかった。
物語はそこで終わる。
「母親は諦めたのか」と問う者もいるだろう。
だが私は逆に問いたい——
それこそが、より深い恐怖ではないのか。

By VON(壹叔瘋神)



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